もうしょうがないさ

たぶん駄文

見えることより見られることが大事

大学に入学して引っ越してから急に気になってきたのが無灯火自転車です。土地柄なのか、自転車が多いだけなのか、夜に出歩くことが多くなったのかはわかりません。

自転車がない人は人権がないみたいな風潮の大学なので私の基本は自転車移動です。自転車に乗って移動しているとどうしても無灯火自転車が気になってしまいます。だって危ないですもん。トンネルから抜けたときに無灯火とすれ違ったときには死ぬかと思いました。無灯火のせいで結構なストレスを抱えています。

皆さんはわかっておられると思いますが、無灯火自転車の危険性は見えないことです。「俺見えてるし」と無灯火の人は思うかもしれませんが、問題はそこではありません。無灯火の自転車が見えないことです。夜歩くときや運転するときに車体を見て車の存在を認知するひとはまずいないでしょう。ライトをつけることは認知の補助になります。また、距離も大事です。ライトをつける意味はあらかじめ認知するいうことでしょう。余裕を持って動くこと(ここでは動き出す時間の話ではない)は交通安全の基本です。車間距離を空けるのは急ブレーキに対応するため、一時停止は安全確認する時間を与えるため、ウィンカーはあらかじめ前の車の動きを予測するため、と車の機能や交通法、運転マナーは余裕を作り出そうとしています。

最近衝撃を受けたことがあります。私は学園祭の実行委員をやっているのですが、その同僚に無灯火がいたのです。その人曰く、無灯火と事故を起こすのは注意力の問題らしいです。また、ライトの電池を買うのが負担になると逆切れしていました。注意力云々の話を聞いたときは「このアホは何をぬかしているのか」という気持ちになりました。車から見て無灯火自転車はお化け屋敷のお化けみたいなものだと思います。頻度は低いですが。しかも、驚いた瞬間人生が狂います。お化け屋敷で驚く人に注意力が足りないといえるのでしょうか。私はそんなこと言えません。

とにかく無灯火は違反ですし、人生が狂うかもしれませんし他人の人生を狂わせるかもしれません。あの世や病院で後悔する前に、無灯火の皆さんは今すぐライトをつけましょう。